万年冬眠中

ぜんぶフィクションです。

夢小説を笑う文化

夢小説界隈に身を置く立場として、ハッシュタグなどを用いて頻繁に流れてくる「テンプレート化された夢小説のイメージ」にたいへん辟易しつつあるので、ちょっと考えました。お時間のある方はよろしければお付き合いください。

 

まず夢小説ってなんだろうという話から始めます。ドリーム小説とも呼びます。wikipediaさんが杉浦由美子さんの著作『ケータイ小説のリアル』という本から引っ張ってこられた夢小説の定義は、「特定の登場人物の名前を読者が自由に設定して読むことの出来る小説」とのことです。名前変換ができる小説なので、夢小説はそのまま名前変換小説とも呼ばれたりします。恋愛、友情、家族愛、傍観など、色々なシチュエーションのお話があります。夢主と呼ばれる名前変換の対照となる主人公は、女であったり男であったり、受けであったり攻めであったり、人外であったりと様々です。

 

で、冒頭の話に戻るんですけれども、「ナントカ夢小説にありがちなこと」「夢小説あるある」みたいなハッシュタグがついてリツイートで流れてくるタイプの夢小説って、ある種のテンプレートみたいな流れに沿ってできていて、 検索エンジンに「ジャンル名 夢小説」って打ち込んだらすぐに同じような様式のものがでてきて読めますよね。でもそれって、こう言ったら怒る方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、初心者が書くレベルのものなんです。初心者なので似たり寄ったりのテンプレ展開になりがちなんです。ホームページに検索避けもしてないんです。だから検索したらすぐにでてくる。

実を言うとそういった夢小説は、長年夢小説を読んでいたり、書いていたりする人にとっては、夢小説という文化全体の、ほんの上澄みに過ぎないんですよ。長いこと夢小説を消費している閲覧者は目が肥えてくるし、書いている創作者の文章は多少なりとも洗練されてゆきます。長年界隈にいる創作者は検索避けを覚えて隠れますし、閲覧者はそれを探す術を学びます。長く浸っている者ほど深層に行くんです。

ですがそういう人たちにとっても、「夢小説」は「夢小説」です。
前述のテンプレ夢小説も夢小説ですし、年季が入って洗練された夢小説も、名前変換ができれば、なんでも夢小説と呼ぶんです。しかし、「夢小説あるある」とうたって流れてくるツイートは、どうも前者だけを引っ張ってきて、誇張して茶化したような内容じゃないですか。

何故でしょうか?

思うに、そういう偏った夢小説のイメージにハッシュタグをつけてツイートしたり、それを「あるあるwww」とリツイートする層には、「昔は夢小説読んでいた時期もあったけど、今は離れて久しい」「夢小説に興味はあったけど検索して出てきたものを読んですぐ興味を失った」「昔書いていたことがある」こんな人が多いのではないでしょうか。そういう方々にとって夢小説は過去のものなんだと思います。それも上澄みを掬っただけでわかった気になって、黒歴史にしちゃってるんです。だから面白がって拡散しちゃうんです。

ですが、成人して今なお夢小説を読み書きしている私個人としては、そういうスタンスで夢小説を語られるのはとても屈辱的ですし、許せません。とても馬鹿にされた気分になりますし、悲しいし、怒りがわきます。夢小説を過去のものとして切り捨てるのは勝手ですが、上澄みだけを掬って「これが夢小説だ」ってレッテルを貼って笑いものにするのは、過去にちょっとかじった程度のよく知らないジャンルを馬鹿にするのは、今現在も真面目に夢小説を創作している人達に失礼ではないでしょうか?

BLをよく知らない人や、過去にちょっと読んでいた程度の人に「BLって受けと攻めがあってー、なんかかわいい男の子が受けでしょ?壁ドンとかするんで しょ?」とBLの多様性も知らないのに知ったかぶりをされたら腹が立ちませんか?「BLはねー、昔読んでたけど…A×Bとかwww黒歴史だわwww」と自分が好きなCPを黒歴史と言われて馬鹿にされたら腹が立ちませんか?夢小説も同じです。夢小説だって、その形態は様々です。素晴らしい作品がたくさんあるんですよ。今も夢小説を読んで、書いている人がいるんですよ。

だから夢小説を読め、とは言いません。特別扱いしろとも言いません。ただ、夢小説も一つのジャンルとして二次創作界隈に確立されているのです。知ったかぶりして笑いものにしてつついて遊ぶのは、失礼ではないかと思うのです。


おわり。